発達障害 ADHD
こんにちわ。
前回、自閉症という用語の使い方の変遷と、その診断の謎について書きました。 発達障害の謎 自閉症?
過去に蓄積されている知識を、利用しない手はありません。しかし、それはあくまでその子どもを育てるためのものであり、診断名を付けて安心するためのものではりません。診断名は「ああ、そうだったんだ」という納得もくれますし、理由もくれます。〇〇だからしかたない、自閉症・ADHD・発達障害・うつ・起立性障害 などなど、〇〇の中には、入るのだと思います。
大切なのは、今できることは何なのかということを知るということ。その子どもの傾向を知るために、こんな症状を現すグループがありますよ、と使うことはありだと思います。きっとこういう遊び方が好き、きっとこういうかかわり方を必要としている。
いつもそうなのですが原因を想定したところからしか、解決は見えて来ません。
今日はADHDの原因や、ADHDという用語の変遷についてお話してきます。自閉にも増して波乱万丈なADHDという「概念」。理由を知り根本からアプローチする、という根本的なセラピーの基本としてお読みください。
ADHDの概念の変遷
そもそも、座っていられなくてやんちゃで元気、次々と注意が移り、けれど精力的で創造的、衝動的すなわちチャレンジを厭わずリスクテイクする人、というのは昔からいました。じっとしていることが苦痛で、厳しい躾に反発し冒険心と共にイギリスを飛び出した人たちが作った国がアメリカだ、などという話もあるくらいです。
これが、投薬と関係するようになってきたのは、脳炎の後遺症で起きる多動が報告されるようになってからです。映画『レナードの朝』(Awakenings) で知られるような脳炎が1900年代初頭に流行し、これが投薬により改善することが偶然発見され、「明らかな脳の病気(脳炎)で起きるのだから、心理的な病気ではなく神経の病気でしょう」と結び付けて使われるようになったのです。
しかし、その時に患者さんたちが見せていたのは、多動の他に嗜眠・発熱・緊張病・身体的障害・摂食障害などがあり、「多動は神経の問題である」と結論付けて良いかどうかは疑問です。神経の症状だから、薬が効く という前提であったはずなのです。
また、脳炎後遺症で起こる多動とは、入院で処置する以外に対応のしようのない程程度の強いものであったようです。けれどもとにかく、「薬が効く」と「多動」は、結び付けられるようになっていきました。
そして、あまり一般的ではないほど強い、脳炎の後遺症の多動の話は、子どもの発達で普遍的に見られる多動、と結び付けて考えられるようになっていったのです。そして一般的な問題として、多くの研究が行われるようになっていきました。
原因を突き止める。新しい分野で研究を進める。社会問題を解決する。それは、人間にとってどこまでも魅力的なことなのでしょう。本当は様々な要因が入り組んだ複雑な行動の結果である「動き回る」「不注意」を、単純化したい大人の欲求がありました。
これは、教育ともリンクしました。アメリカは冷戦中で、ソビエトとの競争にしのぎを削っていた時代背景がありました。都市化が進み、優秀な人材が求められました。またベビーブームで子どもが多かったという状況もあったようです。
「教室で座っていて欲しい」「おとなしくして欲しい」「一斉の指導に従って欲しい」「他の子とトラブルを起こさないで欲しい」。そのような大人の希望とも、診断名を付けることは合致していきました。
「彼らは多動だ」そう言ってしまえば、どんな問題行動も包括することができたのです。
そして薬が使われるようになっていきます。ADHDという障害名の普及と、それとセットで行われる投薬。これにはだいぶ大人の事情が絡んでいたのでは、と思われます(参考文献をご参照ください)。病名と一緒に薬を売る。ADHDに限らず行われる手法のようです。
私の立場
子育てには、その人が世界をどのようにとらえているか、が顕著に現れます。それだから、面白いのです。なので「薬は絶対飲ませるな!」とか「医者は信頼ならない!」「製薬会社の回し者だ!」とか、「世の中の仕組みが間違っている!」とか、「予防注射に含まれる水銀が!」「食べ物が食品添加物・放射能だらけ!」とか、それこそ問題を一つの原因に帰結させる立場は取りません。
もちろん、それらはあるでしょうし、各々が調べて自分に家族に「最悪を避ける」立場で臨むのが良いと思います。それらは自分の「子育てという文化」の中に自然に現れてくるものだと思います。
一番大切なのは、私は「子どもが十全にその人生を全うできるように育てる」ということだと考えます。そこから見た時に、必要なことをする。そのためには、今子どものある姿を認めて、一緒に立ち、課題を把握し、ちょっと先を見せる。そして大人が、子どもの将来について、長い目でのビジョンを持っていることです。現代では、子どもを守る立場に立たなければならないことも多いでしょう。
親の育児力
さて、では具体的に親が出来ることって何なんでしょうか?
好き勝手をして、荒れ狂っているような成人くらいの年齢の、発達障害・ADHD(疑い)という診断名のお子さんに会うことがあります。親御さんからの依頼です。ADHDでは、適切に育児や共感、躾がなされないと、反抗挑戦性障害(ODD)と言われる状態となることが知られています。親や自分名義で作ったカードを使いこみ、請求が来る。留まるところがない。結局それを、全て親が払っています。聞いてみると、「この子は発達障害なので好きなようにさせなさい、と病院の先生に言われてそうしていました。」
お母さんと揉めることの多かった子どもでは、反社会的な行動を見ることもあります。
どうすればよかったのか・・・?
~3歳、幼児期、小学校低学年・高学年、中学校、高校、大学。幼児期・学童期・思春期・青年期。年代に応じて必要な働きかけは変わるので、その都度ご相談に乗れればと思いますが、一つ原則とも思えるような例を書きます。
子どもは、4-5歳の頃(文字を読み始める前くらいの時期でしょうか)、何でも思ったことを口に出すようになる時期があります。
「あの人、太ってるねー」エレベーターですれ違いざま、こちらが 汗😂 となるようなことを大きな声で言ったりします。その場はそそくさと去った方が良いかもしれませんが、共感と、そしてそれではどうして欲しかったのか、それをセットで示し続ける必要があります。(共感とメンタライズを間違うと大変なことになる については 日本人は人の気持ちを理解するのが上手いのか? に書いています。)
どんなセリフになるでしょうか。
「そうだね。お母さんもそう思ったよ。でもね、人の前では太ってる、っていう言葉は使わないの。知らない人には特にね。」
「もう、何言ってんの!人の気持ちが分からないんだから!」より、だいぶ助けになるナイストス ではないかと思います。子どもの発言を認めないで、こちらの要求だけを伝えると、防衛的な態度が板についてしまい、人と分かり合えない人になってしまいます(メンタライズが苦手で、人と分かり合えない人になってしまう)。
繰り返し、繰り返し、というのがこちらのブチ切れポイントをついてくる可能性 大 なのですが🤣お母さんは、自分の言ったことを理解してくれている、自分のことを分かってくれている、というのがポイントなのです。それを踏まえたうえで、どうして欲しいか・どうしたらいいか、を伝える。共感レベルまで育っている、子どもへの躾に向けた働きかけです。
自然に育つ と 文化の中で育つ
そのせめぎあいが、日々の子育てです。
あなたの特性を見せて欲しい 生かして欲しい
ADHDと言われる子に、WISCなどを取っていると迷路課題などで、その子の頭の中で起きていることがわかるなあー と思うことがあります。
このような検査で得点をするには、言われた通りの方法で、結果を示さなくてはなりません。例えば迷路を間違ったと思った時にはどう引き返すか、などです。指示通りでなければ得点になりません。
いくつか問題が進み、その子がノリノリになってきているのが分かります。解けるのが得意なのでしょう。そして次の問題、その子が、回答を、迷路の出口までを目で追っているのが分かります。あっています。頭の中で迷路が出来ているのです。しかし、線が引いてありません。泪😭 それで得点にはなりません。分かっていることを、皆に理解できる形で示す必要があるのです。
私に出来ることは、あなたが分かっていることは分かっている。それを皆にもわかる方法で、見せて欲しい。それをお願いすることです。あなたにとっては、まどろっこしいかもしれない。一瞬で終わってしまうことかもしれない。けれど、みんなはそのスピードについていけない。だから、あなたが分かってるということを、みんなにもわかるように見せて欲しい。
社会に貢献するって、そういうこと。自分の文脈で終わるのでなく、人と共有できるモードで示すこと。その手間を取れるようになるのは「自分のことを分かってくれる」人の存在があるからです。
不思議なこともあります。私が問題文を読む前から、回答を当ててくることがあるのです。どうやってやっているんでしょう?不思議な力です。
【参考文献】
マシュースミス 石坂好樹 他訳 ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたか 星和書店 2017成田奈緒子 「発達障害」と間違われる子どもたち 青春出版社 2023
岡田尊司 ADHDの正体 新潮社 2020
ラッセルAバークレー 海輪由香子訳 ADHDのすべて VOICE 2000
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